2009年7月 2日
ノストラダムス、医師としての活動
長い放浪を続けたノストラダムスは、1544年にマルセイユの医師ルイ・セールに師事したとされ、翌年には3人の囚人の診察をした記録がある。
そして、1546年に同じ南仏の都市エクスでペストが流行した時には、治療のために同市へ赴いた。伝説では、この時にノストラダムスは、鼠がペストを媒介することを見抜き、鼠退治を命じたという。また、アルコール消毒や熱湯消毒を先取りするかのように、酒や熱湯で住居や通りを清め、更にはキリスト教では忌避されていた火葬すらも指示したとされる。しかし、後年ノストラダムス自身が『化粧品とジャム論』で述懐しているこの時の様子に、当時の医学知識の範囲を超えるものはないため、殺菌消毒をはじめとする一連のエピソードは悉く創作であると思われる。『化粧品とジャム論』には、その時に用いた治療薬の処方も載っているが、その効能は疑問視されている。結局のところ、彼の医療活動とペスト沈静化の因果関係は不明瞭なままである。現時点で確実に言えるのは、当時は医師達も尻込みする傾向の強かったペストの流行地に、果敢に乗り込んで治療に尽力した人物ということだけであり、その実効性を評価しうるだけの材料には乏しい。
その後、ノストラダムスはプロヴァンス州サロン・ド・クロー(現サロン=ド=プロヴァンス)に落ち着き、1547年11月11日にこの地で未亡人アンヌ・ポンサルドと再婚した。ノストラダムスは終生この街で過ごすことになるが、1年程度の旅行で家を空けることは何度かあった。最初の旅行は、再婚後間もなく行われたイタリア旅行であり、処方箋などからはヴェネツィア、ジェノヴァ、サヴォーナなどを回ったらしいことが窺える。
この旅行中の出来事としては、以下のような「伝説」が有名である。ノストラダムスはこの旅行中、ある修道士たちの一団に出会った時に、そのうちの一人の前で恭しくひざまずいた上で、その修道士が将来ローマ教皇となることを示唆したために、周囲の失笑を買ったという。しかし、その修道士フェリーチェ・ペレッティは、ノストラダムスの死から20年程のちにシクストゥス5世として即位し、予言の正しさが証明されたのだという。この出会いにも裏付けはなく、後世の創作と思われる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
医師としての活動していたことはとても意外でした。
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