2010年3月 2日
無条件降伏論争
1978年、文芸評論家の江藤淳と本多秋五の間で「無条件降伏論争」が行なわれた(江藤『全文芸時評』『もう一つの戦後史』、『本多秋五全集』第13巻)。その際、東大教授で国際法の権威である高野雄一は、江藤が正しいとした。その後学術的に高野らに明確に反論した者はなく、ポツダム宣言受諾は条件つき降伏であるとの論が有力である。この際本多は、ドイツの降伏が無条件降伏であったのに対し、日本のそれは条件つき降伏だったと認めつつ、カイロ宣言の精神がポツダム宣言の底流に流れているとしている。
無条件降伏ではないという説
ドイツ政府は征服によって消滅し聯合国の完全なる支配の下に置かれることとなったが、日本政府と聯合国との法的関係はドイツのそれとは異なる基礎の上に立つものである。これは休戦に至った経緯の差異に基づく。日本は聯合国のポツダム宣言を受諾することとなり、そこに条件が示されている。そして降伏文書自体もその宣言即ち「下名はここにポツダム宣言の条項を誠実に履行すること並に右宣言を実施する為聯合国最高司令官の要求することあるべき一切の命令を発し且かかる一切の処置を執ることを天皇、日本政府及その後継者の為に約す。」又「天皇及日本国政府の国家統治の権限は本降服条項を実施する為適当と認むる処置を執る聯合国最高司令官の制限の下に置かるるものとす。」と援用されている。この文書は「降伏文書」という形式をとってはいるが、締約国を拘束する国際協定の性質を持つものであり、相互的な義務及び権利が存することとなったものである。
ポツダム宣言自体一つの条件であり、第5條には「吾等の条件は左の如し。吾等は右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず。」と明言されている。「無条件降伏(降服・降譲)」という文字はポツダム宣言第十三條及び降伏文書第二項にも使用されているがこれは何れも日本の軍隊に関することであって、これが為にポツダム宣言の他の条項が当事者を拘束する効力を喪うものであると解すべきではない。
日本は国体護持という条件を突付け戦闘行為を終えたものであり、無条件降伏ではなく条件付降伏であった。
ポツダム宣言は条件付休戦条約であると考えられている。 政府見解では「我が国と米国はサンフランシスコ平和条約を発効するまでの間、それまでの間、国際法上のいわば戦争状態にあり、戦時国際法である陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約が当時の両国間の関係について適用されていた」としており、ポツダム宣言受諾調印をもって国家間の戦争状態の終結とはしていない。
また大西洋憲章をすでに宣言した米国による日本への「憲法の押し付け」は民族自決権を表明した同憲章の理念に反しているとの意見がある極東委員会やマッカーサー総司令部が行った憲法制定や検閲、言論や教育の統制などの占領政策は大西洋憲章の趣旨が反映されたポツダム宣言や降伏文書、降伏の条件として国体護持を出したときに日本国の最終の政治形態は日本国民が自由に表明する意志で決めるとの回答に違反する行為であった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
無条件降伏論争について勉強になりました。
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